2022 8/15 徳島県眉山町 パゴダ


パゴダとは英語で仏塔の意味です。


2400年の昔からインド中部のサーンチー村に現存するサーンチー大塔(ストゥーパ)がその源で、

日本へも中国大陸を経て法隆寺の五重塔や高野山の大塔の形で伝わっています。

平和記念塔パゴダは、昭和33年(1958年)に第二次世界大戦の激戦地であったビルマ(現ミャンマー)戦線からの帰還兵で作られた徳島県ビルマ会によって、

戦場で眺め親しんだ平和の象徴である純白のパゴダに思いを馳せ、ビルマのシュエダゴン・パゴダをモデルにして建設されました。

高さ25メートル、円錐形ドームのビルマ独特の様式で、国内のパゴダの中では、最大級唯一のものです。

第二次世界大戦では、出征した徳島県人2万9749名が、生きて再び徳島の地を踏むことなく、戦地において命を失いましたが、最も多くの戦没者を出したのがビルマで、実に2割強の6216名が悲惨な最期を遂げています。

このパゴダの建設には、若くして戦場に散った数多くの戦没戦友の冥福を祈るためと、恒久平和を願うシンボルとして永く後世に残したいという願いが込められています。

平和記念塔パゴダの中には、当時ビルマのウ・ヌー首相から贈られた仏舎利(お釈迦さまの遺骨)が祀られているとともに、

第二次世界大戦の日本の戦没者13万柱余が奉安されています。

その内訳は、遺族から申し込みがあった徳島県人戦没者7967柱をはじめ、

東京の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑に安置された遺骨の一部を分骨した無名戦士8万6942柱、

昭和50年(1975年)~53年(1978年)

にかけてビルマ・インド・タイにおいて収集された遺骨3万8667柱、計13万3576柱となっています。

徳島県ビルマ会は、パゴダを心の拠り所として、

戦没戦友を偲んで慰霊を行ってきましたが、

会員の老齢化が進み維持管理が難しくなったため、平成元年(1989年)にパゴダの建設当初から協力してきた徳島県仏教会に移管され、現在に至っています。

平和記念塔パゴダにおいては、奉安された戦没者の追悼のため、

毎年8月15日の終戦記念日には戦没者慰霊法要と奉納阿波踊り、9月26日には徳島県ビルマ会の協力の下、戦没英霊過去帳慰霊法要を行っております。

大倭協会では、関西だけにとどまらず、日本全国、そして世界各国を訪れ、現地の方とも交流し、その地域の文化、歴史、技術、取り巻く様々な環境を実際に肌で感じ、広めていくことを使命としています。

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