奈良県天理市を学ぶツアー


2022 9/3 奈良県天理市

奈良県北中部に位置する市。中心部に天理教関連の施設が集中していることなどから、宗教都市として知られています。

名称は天理教に由来します。

今回私達ほとんどの参加者が天理市に訪れた事はなく特別に天理の方々に天理市をご案内して頂き、

そして天理教とはどのような教えなのか講師をお招きしてお話して頂きました。

参加者の方の繋がりで石上神宮の神主の方に特別に

境内を案内して頂き歴史についてお話しして頂きました。

西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。


北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています

当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・
除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
 
総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に
祀られました。


古典には「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました

平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています。
 
中世に入ると、興福寺の荘園拡大・守護権力の強大化により、布留川を挟み南北二郷からなる布留郷を中心とした氏人は、同寺とたびたび抗争しました。

戦国時代に至り、織田尾張勢の乱入により社頭は破却され、壱千石と称した神領も没収され衰微していきました。

しかし、氏人たちの力強い信仰に支えられて明治を迎え、神祇の国家管理が行われるに伴い、明治4年官幣大社に列し、同16年には神宮号復称が許されました。
 
当神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地(きんそくち)を御本地(ごほんち)と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていました。

明治7年菅政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年御本殿が造営されました。


 
禁足地は現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、昔の佇まいを残しています。

当時の火消し、水を掛ける道具も残っています。

手に触れる事が出来ます。

最後に天理教の教え、人間が心を澄まし、仲良くたすけ合いながら暮す「陽気ぐらし」世界を望んで、

人間と自然界を創られました。

天理教は、世界中のすべての人々が、親神様に守られ生かされて、仲睦まじくたすけ合う「陽気ぐらし」世界の実現を
目指しているとの事です。
今回全ての企画、段取りをして頂いた

株式会社 New Earth

代表取締役社長

片岡 徳久 -NORIHISA KATAOKA-
誕生日:1992年9月24日
出身地:大阪府吹田市 

<経歴>
【2015年2月】合同会社ありがたやを設立
【15年3月】 天理大学人間学部卒業
【15年4月】   アースリングカフェ開業
【18年1月】   株式会社NewEarthを設立 買取事業、転売事業開始
【18年7月】   地方創生事業、webマーケティング事業開始
【18年11月】 日本ソーシャル・イノベーション学会設立発起人に加わる
【18年12月】 高度人材派遣代理店事業準備中、起業コンサル事業
【20年1月】   NPO法人ユナイテッドアース天理準備委員会設立
<講演活動>  
・天理大学国際ボランティア論
・天理大学生涯教育専攻        
・大阪天満夢舞プロダクションSDGs
<報道記録>      
・奈良テレビ「気ままにあるこーく」
・奈良新聞
・ラジオ ならドットFM.784
・奈良県C-1 グランプリ(奈良県カレー選手権2位)
・youtubeチャンネル登録2万人超え ユリヤ社長インタビュー
・ならドットfmラジオ
・日本一聞かれてるインターネットラジオ ホンマルラジオ大阪出演

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