2022 10/2 トルコ記念館 和歌山県串本町


トルコ軍艦「エルトゥールル号」遭難

明治22年オスマン帝国皇帝アブデュル・ハミット二世は、オスマン・パシャ特派大使海軍少将を特派使節として日本に派遣した。

巡洋艦「エルトゥールル号」(2,344トン)の乗員は、下士官及び水兵、その他合わせて650余名であった。翌23年6月7日横浜港に到着し熱狂的な歓迎を受けた。

日本に滞在すること3ヶ月、日本帝国の国賓として扱われ、9月14日横浜港を出発し、イスタンブールへの帰路に就いた。

明治23年9月16日、エルトゥールル号は熊野灘に差しかかった。その日は朝から曇りがちで風が激しく、海もひどく荒れ模様であった。

やがて、山のような波に揉まれた木造艦エルトゥールル号は、同日午後すでに進退の自由を失い、風濤に翻弄されてぐんぐん樫野埼灯台下の岩礁「船甲羅」へと押されていった。

この船甲羅は数百年来、海の難所として知られ、艦長以下乗組員全員は死力を尽くして荒れ狂う魔人と闘ったが、絶望的な状況下ではなす術もなく、同夜9時頃、船甲羅の岩礁に乗り上げ、同10時半頃には沈没してしまいました。

この事故によりオスマン・パシャ特派大使海軍将校以下580余名が遭難しましたが、地元住民の献身的な救難活動により奇跡的に69名の命が救われました。かくして、トルコと旧大嶋村樫野(串本町)との友情と友好関係が現在まで続くこととなるのです。

トルコとの友好関係

後年になって、現在の慰霊碑が建立され、トルコと串本町の友好の印として記念館が建設されました。慰霊碑は長年に渡り、地元の老人や旧樫野小学校の生徒達の手で通年、清掃されており、島内の小学校3校が統合された今も、大島小学校の生徒達や地元の人達により、いつも綺麗に手入れされています。

また、節目の年には、トルコ本国からトルコ海軍の艦船が訪れ、駐日トルコ大使などを招いて慰霊祭が催されます。

トルコ記念館

エルトゥールル号の遭難の悲劇を機に犠牲者の慰霊を通じて串本町とトルコ国との交流が始まり、昭和39年11月ヤカケント町と姉妹縁組みを結び、

平成6年にはメルシン市との姉妹都市提携の正式調印を交わしました。トルコ記念館は、トルコ国との友好の証として、今後一層、日ト親善の契りを深めると共に、

国際的な友愛の精神を広く伝えることを目的として、建設されたものです。

館内には遭難したエルトゥールル号の模型や遺品、写真などが展示されており、遭難事故当時の様子を知ることができます。


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