当時の面影を色濃く残す回船問屋。
三角西港の北端。
富岡敬明 1884年三角港築港事業に着手。
幕末の小城藩士で、
山梨県参事や熊本県令を務めた政治家。
晩年には山梨県の漢詩界をリードした漢詩人。
山梨県参事時代には、土肥実匡県令・藤村紫朗権令をサポートし、大小切騒動の収拾や日野春開拓などの勧業政策を推進した。
熊本県令時代には西南戦争の勃発による西郷軍の攻撃に遭い、約2ヶ月の籠城戦を耐え抜く。
熊本県知事退任後に山梨県に移住し、西山梨郡里垣村(現在の甲府市)に居を構え晩年を過ごした。明治33年(1900)に男爵を授けられる。
明治20年の開港時からの建物で、海運業を営む高田儀丸の回船問屋。
4隻の船を所有し、荷物や乗客を運んだそう。
(正義丸、播磨丸、明淳丸、筑後丸)
現存する建物は、1998(平成10)年に修復されたもので、築港当時の面影を色濃く残す貴重なものである。