この白い慰霊碑は、もともと飛行第四連(戦)隊(昭和15年から飛行学校)の本部庁舎前庭に時計塔として設置されていたもので、
当時から多くの隊員たちに親しまれ、この前で記念撮影なども多く行われていました。
戦後、長く放置されていたものを「大刀飛会」によって慰霊碑に改修、追悼シンボルとして現在に至っています。
飛行第四連隊(飛行学校)正門
大正8年(1919年)当初は大刀洗飛行場にて開隊した「飛行第四連(戦)隊」の正門として長く使用されました。
飛行第四連隊が中国大陸や南方への出撃をする時は全てこの門をくぐり、また帰還しました。
しかし、連隊が先の大戦を控え、熊本県菊池へ移動した後の昭和15年(1940年)秋からその跡に開校した大刀洗陸軍飛行学校・本校の正門として使われました。
もともとは原地蔵公民館北側の交差点に設置されたものです。