日本海軍の航空機や艦船などが使用する機銃とその弾丸の主力生産工場として、
昭和14(1939)年12月15日に開庁した豊川海軍工廠があった場所です。
終戦間際の昭和20(1945)年8月7日、アメリカ軍のB29爆撃機による空襲により、2,500人以上の方々が犠牲となった悲しい歴史が刻まれた場所でもあります。
豊川市では、戦後50周年の平成7(1995)年に平和都市宣言をしました。
この宣言には「戦争の惨禍を防止し、恒久平和を実現することが、私たち市民の願い」であり、
「歴史上かつてないほど多くの犠牲者を出したこうしたことが、なぜ起きたのか、ともに考え、子孫に語り継いでいかなければならない」
ことをうたっています。その思いのもと、悲しい歴史が刻まれたこの場所で戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えることを目的として、豊川海軍工廠平和公園を整備されました。
園内には、豊川海軍工廠の建物や防空壕跡などの当時を偲ぶ遺構、海軍工廠の歴史・戦争遺跡について学ぶ平和交流館などがあります。
ここ豊川海軍工廠平和公園で、皆様それぞれの思いで、平和の尊さについて考えてみませんか。