2022 6/11:会津藩校 日新館 (福島県会津若松市)


会津藩校日新館は、白虎隊をはじめ、戊辰戦争やその後に人材を数多く輩出した場所です。

寛文4(1664)年、日本で初めて民間により創設した庶民のための学問所といわれる「稽古堂(けいこどう)」とされています。

これに対し、会津藩初代藩主 保科正之は税金を免除し、大いに奨励しました。

江戸時代も200年が過ぎ、太平の世になってくると、今までの風習が変化し武士の気もゆるみ始め、道徳の退廃も顕著になってきました。

天明2(1782)年から数年間続いた天明の大飢饉をはさんで、会津藩内でも様々な問題が出てきます。

その諸問題を解決すべく、5代藩主 松平容頌の時、家老 田中玄宰は藩政の改革をするよう進言し、その中心に「教育の振興」をあげ、このことが日新館創設のきっかけとなりました。

日新館の建設は、それは大変な作業でした。着工となってからは大司成 (現在で言えば文部科学大臣)、小司成、さらには日新館の教授、生徒たちまでもが、草鞋をはき協力しました。

多額の建設資金は、呉服商を営む大商人、須田新九郎が大半を負担しました。


そして享和3(1803)年、五ヶ年の歳月を費やし、文武の両教科を教授する総合学校「日新館」が完成しました。

「日新館の教育目標は、人材の育成」の会津藩の方針のもとに、花色紐組(上士)以上の藩士の子弟は全て入学が義務付けられました。

○日新館の心得

10歳になると会津藩士の子弟は日新館に入学します。

生徒数は1000~1300人ほど。授業は朝の8時から始まりました。

素読の教科書は論語、大学などの四書五経に、孝経、小学を加えた計11冊の中国の古典を用います。

(各家では、入学する前の6歳頃から近所の寺子屋などで素読をさせていました。)

低学年のときは、日新館心得の勉強があり、具体的に細かく心得を指示していました。

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