2022/7/15:河井継之助記念館(福島県南会津郡)


幕末の越後、長岡藩。
越後の風雲児と呼ばれた男がいました。
その名も河合継之助。

継之助は幕末の大きく時代が動く中、
民の豊かな暮らしを夢見て近代国家を築こうと奮闘したのでした。

河合継之助は文政十年(1827年)、
長岡藩士、河合代右衛門秋紀の長男として生まれました。
小さい頃から血気盛んで理不尽な年長者の脅しにも屈しないという性格でした。母親の貞は密かに頼もしがっていましたが、
父は藩士としての将来を案じて文武の手習に通わせました。
しかし、師範の言葉を聞き入れなかったそうです。

その河合継之助を変えたのが山田方谷。
方谷の言行一致な姿勢と藩政改革の成果を見て、
継之助は考えを改めて方谷の元で陽明学と財政再建を学びました。
そして長岡藩に戻り藩政改革を行い、藩を再建しました。

幕末、戊辰戦争で薩長を中心とする新政府軍と
奥羽越列藩同盟を結成した旧幕府軍が対立した時に、
最後まで武装中立を目指し折衝を行いましたが、
その努力虚しく、北越戊辰戦争が参戦することとなりました。

慈眼寺は継之助が新政府軍監だった土佐藩の岩村精一郎と
小千谷会談を行った場所として有名です。

新政府軍相手に善戦しましたが、
戦争中に受けた傷により継之助は亡くなりました。

司馬遼太郎の『峠』は、
この河合継之助の生涯を題材にした作品で人気があります。
この『峠』は役所広司さん主演で映画化されています。

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