沖縄県中頭郡読谷村波平にある鍾乳洞(ガマ)。
1945年(昭和20年)、沖縄戦における集団自決(集団死)が行われた場所。
1945年4月1日、読谷村にアメリカ軍が上陸し、読谷村を爆撃、破壊した。
村民は、1944年(昭和19年)10月10日の空襲(十・十空襲)以来、爆撃を受けるたびにガマへ逃げ込んでいた。
上陸前の連日の爆撃は、朝8時頃から始まり夕方5時頃には収まっていたが、上陸を間近に控えた3月23日から上陸前日の3月31日までの爆撃は昼夜通しで行われた。チビチリガマは、読谷村の浜から600メートル。
アメリカ兵が来て、ガマから出るよう呼びかけるが、元日本兵の
「出て行けば殺される」
という言葉を信じ、ガマを出る者はいなかった。
その後、娘から「殺して」と頼まれた一人の母親が、娘の首を包丁で刺した後、
続いて息子を包丁で刺すと、自決する者が続出し、元日本兵が再び火を付けると、炎と煙がガマ内に充満した。
煙で苦しむよりはアメリカ兵に撃たれて楽に死のうと考えた者はガマの外に出たことで助かり、都屋の収容所に移送された。
チビチリガマへは世帯数31、総人口194名のうち139名が入ったが、自決者数は82名(85人とする場合あり死亡率は60%に上り、その過半数が子どもであった。
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